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福岡高等裁判所 平成3年(う)160号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役七年に処する。

原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

押収してある二重ポリ袋入り覚せい剤三袋(当庁平成三年押第一三号の2、5及び7)を没収する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤金幸、同伊関正孝、同山下昇、同出田清志、同用澤義則共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりである(但し、主任弁護人は、第一回公判期日において、控訴趣意書第一の四の(4)項は陳述しない旨述べた)から、これを引用する。

第一  控訴趣意書第一点(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決は、被告人が営利の目的でポリ袋入り覚せい剤結晶三袋(合計二九九八グラム、以下「本件覚せい剤」という)を所持した旨認定しているが、右覚せい剤は、Tがキャスター付き茶色(実際には、あずき色)ビニール製ボストンバッグ(〈押収番号略〉、以下「キャスター付きバッグ」という)に入れて、原判示○○鳥飼一〇四号室のK子方に持ち込んだものであって、被告人は、K子方を出る直前にTからかかってきた電話で、K子方に置いてある三個の新聞紙包みの中身が「やばいものです」と聞いただけで、それが覚せい剤であるとは知らなかったのであるから、原判決には事実の誤認がある、というのである。

一  原審において取り調べた証拠及び当審における事実取調べの結果によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する被告人の警察官及び検察官に対する各供述調書、原審及び当審公判廷での各供述は信用できない。

1  被告人は、かねてより福岡市内において、国分一家ないし国分総業の名前を掲げて暴力団として活動していたものであるが、平成二年(以下、年を記載しないときは「平成二年」を指す)三月ころ、五代目山口組内伊豆組東会の若頭になるとともに、同会国分総業の総長として、肩書住居地のメゾンドM四〇五号(以下「被告人方」という)に事務所を構えていた。

2  被告人は、平成元年八月前刑での服役を終えて出所後、既に内妻と一緒に被告人方で生活していたK子を知ったが、同女の身の上に同情し、以後父親代わりとしてその面倒をみるようになった。その後、K子は○○鳥飼一〇四号室に引っ越すことになり、平成二年六月二日及び三日に、Tに手伝ってもらってタンスや冷蔵庫等の家財道具を同室に運び込んだ上、荷物の整理等を行ったが、同月三日の夜は被告人方に泊まった。

3  六月四日午前一〇時四五分ころ、福岡県西警察署に、「メゾンドM四〇五号の甲は、覚せい剤五キログラムを仕入れ、本日中に全部客に売り捌く予定である。覚せい剤は甲のベンツ・車両番号八八一七のトランクに隠している」旨の確度の高い情報を提供する匿名電話があったことから、城崎良幸警部補らは、同県警察本部保安課の日高茂利巡査部長らの応援を得て、合計九名の警察官らが三台の捜査用自動車に分乗して、午前一一時五〇分ころからメゾンドMの駐車場の張込みを実施した。

4  午後二時ころ、被告人が運転する外国製普通乗用自動車(車両番号福岡三三そ八八一七、以下「ベンツ」という)がメゾンドMの駐車場に到着し、助手席に乗っていたMが降車して被告人方に入った。しばらくしてK子が被告人方から出てきてベンツの助手席に乗り込み、すぐに同車が発進したので、城崎警部補らは捜査用自動車でベンツを追尾した。

5  午後二時一二分ころ、ベンツは○○鳥飼の北側通路東側出入口付近に後ろから進入して停車し、被告人及びK子が同車後部トランク等から荷物を取り出して同女方に運び込んだ。一方、ベンツを追尾していた警察官のうち、三島博明巡査は、捜査用自動車から下りて○○鳥飼の北側通路南東角に行き、電柱に身を隠して被告人らの様子を窺ったところ、被告人がベンツの後部トランクを開け、手に荷物を持ってK子方に入って行くのを現認した。他方、日高巡査部長らは、○○鳥飼の東側の道路を挟んだ場所にある駐車場に捜査用自動車を止めて、被告人らの動静を監視するとともに、付近で聞込みを実施し、最近若い女性が○○鳥飼一〇四号室に引っ越してきたことを確認した。また、別府文登巡査部長は、○○鳥飼の南側通路から、K子方六畳和室の中に、被告人が白色半袖シャツ姿で立っているのを現認した。

6  そこで、城崎警部補らは、被告人が前記匿名電話のとおり大量の覚せい剤をK子方に運び込んだものと判断し、被告人がK子方から覚せい剤らしいものを持ち出した時に職務質問を実施する方針を立てて張込みを継続していたところ、K子が、午後二時二〇分ころ、午後二時三〇分ころ及び午後三時二〇分ころの三回、同女方から外に出て来て、ベンツの後部トランクから布切れ様の物を取り出したり、近くの公衆電話から電話するなどしたのを現認した。その後、城崎警部補らは、午後三時三〇分ころから、捜査方針を「近張り」に変え、○○鳥飼の北側通路東側出入口付近及び西側出入口付近にそれぞれ捜査用自動車各一台を移動させた上、更に張込みを継続した。そのころ、同県警察本部保安課特捜班長の寺崎一警部が張込み中の警察官らに合流した。

7  午後三時四〇分ころ、被告人がペーパーバッグ(〈押収番号略〉)及び携帯電話機を抱えるようにしてK子方から出て来てベンツの運転席ドアを開けようとしたので、同車近くで張込みをしていた日高巡査部長ら五名の警察官が被告人のところに駆けつけ、同巡査部長が、被告人に対する職務質問を実施するため、警察手帳を示しながら声をかけたところ、被告人は、突然路上に携帯電話機を投げ捨て、ペーパーバッグを右脇に抱えて右通路を西方に向かって全力で走り出した。そこで、同巡査部長及び清水伸明巡査の二名が被告人の後を追いかけるとともに、別府巡査部長らは、被告人に続いてK子方から出てきた同女を呼び止め職務質問を実施した。

8  一方、○○鳥飼の北側通路西側出入口付近で張込みをしていた城崎警部補は、逃走してくる被告人を認め、幅約2.3メートルの道路の中央付近に両手を広げて立ち、「止まれ」と大声を出して被告人に停止を求めたところ、被告人は、同警部補の手前約三メートル付近で右脇に抱えていたペーパーバッグを右通路西側正面にある三洋電気福岡共同住宅の敷地内に向かって高く放り投げた後、同警部補に衝突し、転倒した。そこで、被告人に追いついた日高巡査部長が被告人の右腕を抱えるようにして立たせ、城崎警部補が被告人の左側に立った上、右共同住宅敷地内から被告人の投げ捨てたペーパーバッグを拾って来た清水巡査が、右バッグを被告人に示してその中身を尋ねたが、被告人はこれに答えなかった。

9  その後、城崎警部補が被告人を促し、日高巡査部長と被告人を両側から挟むようにして、○○鳥飼一〇四号室前の踊り場に赴いた。そして、寺崎警部がK子に対し、話を聞くために同女方に入っていいかどうかを尋ねたところ、同女がこれを承諾したので、被告人らとともにK子方に入った。その後、同女方台所入口付近において、寺崎警部が、被告人に対し、前記ペーパーバッグの中身について再度質問したが、被告人が知らないというので、更に右バッグの中身を確認してもいいかと尋ねたところ、被告人は、「勝手にしない。しょんなかたい。もう往生した」と言った。そこで、清水巡査が被告人の承諾があったものと判断して、ペーパーバッグの中から新聞紙包みを取り出し、更にそれを開披してポリ袋入りの覚せい剤一袋(〈押収番号略〉)を取り出した上、「覚せい剤ではないか」などと質問したが、被告人は黙っていた。他方、寺崎警部が、K子に対し、「他に覚せい剤を隠していないか。あったら出しなさい」と告げると、被告人は急に大声で「K子見せんでいいぞ」などと怒鳴ったが、K子が「いいですよ。室内を捜して下さい」と答えたので、警察官らが手分けして同女方を捜索したところ、午後三時四七分ころ、三島巡査が、台所流し台の下に新聞紙に包まれているポリ袋入り覚せい剤二袋(〈押収番号略〉)が並べて置いてあるのを発見した。そこで、午後三時五五分、寺崎警部らは、被告人及びK子に本件覚せい剤の営利目的による共同所持の現行犯人として逮捕した。

二  現判決は、「証拠説明」の項において、K子の検察官に対する六月二〇日付け及び六月二二日付け各供述調書(〈書証番号略〉、以下、併せて「K子の検面供述」という)、A子の原審証言(第三回公判)等の証拠に基づき、被告人は、K子が三回にわたって同女方から外に出て来た後、一人で同女方から出て来てベンツの後部トランクからキャスター付きバッグを取り出し、同女方に運び込んだこと、右バッグの内側及び底部にはかなり広い範囲にわたって覚せい剤の粉末が付着していたことなどを認定した上、本件覚せい剤は、被告人が右バッグに入れてベンツの後部トランクからK子方に持ち込んだ旨説示しているところ、弁護人は、るる主張して、右認定等を争っているので、まず、この点について検討する。

1  関係証拠によれば、K子が六月三日の昼間に同女方を出た時には、台所流し台の下等に、本件覚せい剤を入れた新聞紙包みは置かれていなかったこと、他方、警察官らが、K子方を捜索した際に、三島巡査が、六畳和室の押入れの中にキャスター付きバッグがあるのを見つけ、その中を確認したが、何も入っていなかったこと、右バッグはK子の所有物ではないこと、右バッグは、K子方六畳和室の押入れ下段に置かれたままであったが、六月一一日、国分総業の舎弟頭であるSから警察官に任意提出されたこと、その後、福岡県警察科学捜査研究所において、右バッグの内側及び底部に付着していた白色粉末約0.015グラムを鑑定した結果、それが覚せい剤であると判明したことが認められる。そして、右事実を前記認定事実と併せ考えると、本件覚せい剤は、六月三日にK子が同女方を出てから翌四日被告人らが逮捕されるまでの間に、何者かがキャスター付きバッグに入れてK子方に持ち込んだものと推認することができる。

2  ところで、K子は、検面供述において、「多分私が三回目に部屋から外に出て被告人の手提げバッグを持ち込んだ後のことだったと思う。私が六畳和室で片付けをしていたところ、玄関の方からカチャンというドアの開閉した音が聞こえた。まもなくして、被告人が、キャスター付きバッグを手で引いて玄関から台所に入って来た上、四畳半の部屋に運び込み、部屋の隅に置いた。私は、興味を持って、被告人に『何か入っとると』と尋ねたところ、被告人は何も言わず六畳和室に入って行って小物の整理を始めたので、それ以上右バッグのことは話題にしなかった。その後、片付けがひととおり終わったころ、六畳和室において電話をかけていた被告人が、急ぐ様子で『K子、仕事ができたけん出るぞ』と言うので、私は、玄関まで行った。ところが、被告人は台所の流し台の開き戸の前に座り、戸を開けて何かごそごそやっていた。その後、被告人が玄関に来て部屋の外に出て行ったので、私も外に出て玄関の鍵をかけた」旨述べており、右検面供述を、前記認定事実に照らして考えれば、被告人は、午後三時二〇分すぎころに、本件覚せい剤を入れたキャスター付きバッグをK子方に運び込んだということになる。

3  しかしながら、右の時刻ころは、前記認定のとおり、メゾンドMから被告人運転のベンツを追尾してきた城崎警部補らが、被告人がK子方から覚せい剤らしいものを持ち出した時には職務質問を実施するとの方針を立てた上、日高巡査部長らが、○○鳥飼の東側にある駐車場に捜査用自動車を止めて、ベンツが停車していた北側通路に対する監視を続けていた時期であり、しかも、司法警察員ら作成の尾行、張込、逮捕状況報告書謄本(〈書証番号略〉、特に、添付の見取図Ⅲ参照)、三島巡査の当審証言(第四回公判五九ないし六八項等)等の関係証拠によれば、捜査用自動車と○○鳥飼の北側通路との間に障害物はなく、誰かが右通路に出てきたり、ベンツに近づけば十分見通すことができる状況にあったと認められること、実際にも、K子が○○鳥飼から右通路に出てきた時には、三回とも警察官らが現認していることからすると、仮に被告人が午後三時二〇分すぎころにキャスター付きバッグをK子方に持ち込むため右通路に出て来ていたのであれば、捜査用自動車で張込みをしていた警察官らが、被告人を見逃すはずはないと考えられる。それにもかかわらず、右警察官らが、右通路に出て来た被告人を全く現認していないことからすると、被告人が午後三時二〇分すぎころに右通路に出てきた事実はなかったものと考えざるを得ない。

4  また、三島巡査は、当審公判廷(第四回公判六九項、二七九ないし二九一項等)において、被告人がキャスター付きバッグをK子方に持ち込むために右通路に出てきたのは、同巡査がK子方に入って行く被告人を現認してから、捜査用自動車が右駐車場に停車するまでの約八分間の空白時間内のことではないかと思う旨証言しているが、前記報告書謄本(〈書証番号略〉)によれば、日高巡査部長らが捜査用自動車を右駐車場に停車させたのは、三島巡査が右通路南東角から被告人の状況を確認している最中のことであったこと、また、K子の検面供述及び同女が初めて右供述に沿う事実を述べた司法警察員に対する六月一六日付け供述調書(〈書証番号略〉)によれば、同女がキャスター付きバッグを室内に運び込んで来た被告人を目撃した時期は、被告人が、四畳半の間及び六畳和室に電灯を取り付けた後のことであるというのであるから、被告人がキャスター付きバッグを持ち込んだ時期を、三島巡査の当審証言のように、被告人らがK子方に到着した直後のことであると認めるのも困難である。

5  そこで更に、K子の検面供述自体の信用性について検討するに、同女が初めて、キャスター付きバッグを同女方に運び込んで来た被告人を目撃した旨の供述をしたのは、司法警察員に対する六月一六日付け供述調書(〈書証番号略〉)においてであるが、その供述内容は、被告人が右バッグを置いた場所を六畳和室と述べるなど、検面供述との間に齟齬があること、しかも、K子は、検面供述に沿う供述を始める前日である六月一五日の検察官に対する供述調書(〈書証番号略〉)において、「被告人がキャスター付きバッグや紙袋を室内に持ち込んだところは見ていない」旨明確に述べていたのに、司法警察員に対する六月一六日付け供述調書(〈書証番号略〉)及び検察官に対する六月二二日付け供述調書(〈書証番号略〉)では、「それまでの取調べで、被告人がK子方にキャスター付きバッグを運び込んだことを述べなかったのは単に忘れていただけで、その後思い出した」旨供述しているだけであって、K子が検面供述に沿う供述をするに至った理由について必ずしも納得できる説明をしていないこと、更に、K子は、司法警察員に対する六月八日付け供述調書(当審検一号)において、「K子方に入ったのは被告人とTしかおらず、同人が引越しの手伝いをした時に、本件覚せい剤はなかったので、はっきり見たわけではないが、本件覚せい剤は被告人のものとしか言えない」旨述べ、また、司法警察員に対する六月一一日付け供述調書(〈書証番号略〉)においても、「はっきり見たわけではないが、本件覚せい剤は被告人のものであり、事件当日である六月四日、K子が一人で六畳間の片付けをしている時か、電話をかけに外出した時に同女方に持ち込んだものとしか言いようがない」旨供述するとともに、「被告人が男らしく白状してくれれば、私も早く帰れる」旨述べていたものであって、K子が、検面供述に沿う供述をする以前において、格別被告人をかばって虚偽の供述をしていたとは考えられないこと、他方、司法警察員ら作成の領置状況報告書(〈書証番号略〉)、司法警察員作成の鑑定嘱託書謄本(〈書証番号略〉)及び福岡県警察科学捜査研究所技術吏員久冨健敏作成の鑑定書(〈書証番号略〉)等の関係証拠によれば、K子方六畳和室の押入れに置いてあったキャスター付きバッグの内側及び底部に付着していた白色粉末が覚せい剤かどうかの鑑定が始められた六月一四日ころには、既に右白色粉末が覚せい剤ではないかとの疑いが濃厚になっていたと考えられることを併せ考慮すると、被告人がキャスター付きバッグをK子方に運び込むのを見たと述べる同女の検面供述は、取調官による追及を受けた同女が誘導されるままに供述した疑いがあり、直ちにその信用性を肯認することには疑問が残る。

6  なお、A子の原審証言(第三回公判一ないし二一項、九一ないし九六項等)は、「同女が、小学校に通っている子供に傘を持って行こうとしていた時に、暴力団員風の男がベンツの後部トランクから四角い形のバッグを取り出してK子方に持ち込むのを目撃した」旨述べるものであるが、同女の証言によっても、この時被告人がK子方に持ち込んだものがキャスター付きバッグであったとは断定できない上、K子の原審証言(第四回公判二五八ないし二七七項等)等の関係証拠によれば、同女及び被告人が六月四日にK子方に持ち込んだ物の中には、同女の衣類等を詰めたルイ・ビトンのバッグがあり、その形状は、キャスター付きバッグよりも高さが多少低いものの、それと同じ様な大きさのものであったこと、また、A子が被告人を目撃したのは、被告人らが○○鳥飼の北側通路に到着した直後ごろのことであると考えられることからすれば、結局、A子が目撃した時に被告人がベンツの後部トランクから持ち出したバッグは、K子所有のルイ・ビトンのバッグであった可能性があり、A子の右証言から、被告人がキャスター付きバッグをK子方に運び込んだと認定することも困難である。

7  ところで、Tは、当審において、K子方に本件覚せい剤を持ち込んだのはT自身である旨証言しているので、その信用性について検討するに、同人は、平成四年一月一六日の証人尋問(以下「第一回証言」という)においては、「六月三日の夜、被告人らと一緒に中洲の映画館に入った後用事で外出した時に、被告人に刑務所で世話になったという四十四、五歳の男から、『宜しくお伝え下さい』ということで新聞紙包み三個が入った黒色紙袋を預かった。この時は、集金のことなどで頭が一杯だったので、その男の名前は聞かなかった。自分は、それが肉などの生物だと思ったので、○○鳥飼一〇四号室に行き、黒色紙袋から新聞紙包み一個を出し、新聞紙包み二個は紙袋に入れたまま、三個とも冷蔵庫か流し台の下の開き戸の中に納めて、映画館に戻った。その後このことを被告人に報告するのを忘れていた。キャスター付きバッグについては記憶がない」(二八八ないし四一一項、六九六ないし七〇〇項等)旨証言していたが、同年一一月一三日の証人尋問(以下「第二回証言」という)においては、右第一回証言は虚偽である旨述べた上で、「中洲の映画館に入る前に、東会のYの運転手兼秘書をしているJから電話があり、二、三日前に約束していた覚せい剤を渡すから、公衆電話から電話してくれと言われた。被告人らと一緒に映画館に入った後に中座し、Jに電話したところ、博多駅近くのローズマンションに来るようにとの話があった。そこで、タクシーで右マンションの前に行って待っていたところ、YとJが来て、一緒に右マンションの駐車場に行き、Yが、同所に止めてあった自動車の後部トランクからキャスター付きバッグを取り出し、その中にあった包みを一旦全部出した上、三個を右バッグに入れて渡してくれた。それで、右バッグを持って中洲の映画館に戻り、ベンツの後部トランクに入れた。それから、一旦映画館の中に入って映画を見た後、ベンツを運転して一人で○○鳥飼一〇四号室に行き、右バッグから本件覚せい剤が入った新聞紙包み三個を取り出し、一個を黒色紙袋に入れた上、他の二個と共に流し台の下に分けて置き、右バッグは六畳和室の押入れの下に入れた。その後、再び被告人らのところに戻った」(一ないし一七二項等)旨証言しているところ、第一回証言は、見も知らない男からその名前等も聞かないで被告人宛ての品物を預かった上、被告人にも全く報告しなかったというものであって、その内容自体からみても、信用性は疑わしい。これに対し、第二回証言については、これを直接裏付ける客観的な証拠は存在しないものの、その内容はかなり具体的である上、他の関係証拠と決定的に矛盾する点はないこと、Tは、本件発生直後から姿をくらましていた上、平成二年一一月ころには窃盗の容疑で警察に逮捕され、以後身柄を拘束されており、右各証人尋問当時は長崎刑務所で服役中であったことをも併せ考えると、Tが前記のとおり、その証言を変転させている点を考慮に入れても、右第二回証言が虚偽であるとまでは断定できない。

8  右のような事情に加え、前記領置状況報告書(〈書証番号略〉)、K子の司法警察員に対する六月九日付け供述調書(〈書証番号略〉)、被告人の原審供述(第七回公判一七八ないし一八九項等)等の関係証拠によれば、キャスター付きバッグは、K子が、六月九日の取調べにおいて、押入れの中に同女の知らないバッグがあった旨の供述をしたことと、被告人から、K子方に見慣れないバッグ等があったとの話を聞いた原審弁護人の申し出に基づき、警察官が、Sから黒色紙袋(〈押収番号略〉)とともに任意提出を受けて領置したことが認められるが、右事実は、被告人が本件覚せい剤をキャスター付きバッグに入れてK子方に持ち込んだことと必ずしも整合しないこと、Rの当審証言(第五回公判一二ないし一八九項、二三四項等)等の関係証拠によれば、被告人は、六月三日午後六時三〇分ころから翌四日午後一時すぎころまでRと行動を共にしており、その間○○鳥飼一〇四号室には立ち寄っていないことが認められることをも併せ考えると、被告人が、検察官に対する六月六日付け弁解録取書(〈書証番号略〉)、勾留裁判官に対する六月七日付け陳述調書(〈書証番号略〉)及び原審第一回公判(二項)において、新聞紙包みの入った紙袋ないしキャスター付きバッグは、被告人がベンツの後部トランクからK子方に運び込んだものであるとの供述をしていたことを考慮に入れても、原判決のように被告人が本件覚せい剤をキャスター付きバッグに入れてK子方に持ち込んだとまでは認定できないといわざるを得ない。

三  そこで、更に、被告人が本件覚せい剤を自らK子方に持ち込んだとまでは認定できないとしても、被告人がK子方に置かれていた三個の新聞紙包みの中身が覚せい剤であるとの認識を有していたのか、また、被告人が本件覚せい剤を所持していたといえるのか、更に、被告人に営利の目的を認めることができるのかの諸点について、以下、順次検討することとする。

1  まず、被告人の認識の点についてみるに、関係証拠によれば、○○鳥飼一〇四号室は、K子が居住する予定で借り受けた部屋ではあるが、まだ引越しが終わったばかりであって、同女が同室での生活を始めるまでには至っていなかったこと、同室の鍵は、二本しかなく、うち一本はK子自身が持っており、他の一本は国分総業の者に預けられていたこと、六月四日までにK子方に出入りしていたのは、同女のほかには被告人とTだけであったことが認められ、右事実によれば、K子方に本件覚せい剤を持ち込んだのはTか、そうでなくとも、国分総業の関係者であったと考えられるところ、本件覚せい剤が国分総業の総長である被告人の指示に基づきK子方に持ち込まれたのではないかとの疑いを払拭することができないものの、これを認めるべき的確な証拠はない。しかしながら、被告人の原審供述(第七回公判九二ないし一四六項等)及びTの当審証言(第一回証言四八一ないし五〇一項等、第二回証言二九五ないし三〇三項等)等の関係証拠によれば、被告人は、K子方台所の整理をしていた時に流し台の下等に本件覚せい剤を包んだ新聞紙包み三個が置かれているのを確認している上、同女方を出る直前である午後三時三〇分ころにTからかかってきた電話で、K子方にある新聞紙包みの中身が「やばいものです」とか「危ないものです」とかの話を聞いていたというのであるから、右新聞紙包みはTないし国分総業関係者の誰かがK子方に隠匿したものであり、その中身は通常所持が禁じられているようなものであることは十分分かっていたものと考えられる。

ところで、被告人は、捜査段階から一貫してK子方に置いてあった新聞紙包みの中身が覚せい剤であるとは知らなかった旨供述しているが、その中身が何であると思ったかについは、逮捕直後の検察官に対する六月六日付け弁解録取書(〈書証番号略〉)においては、「新聞紙に包まれた品物を手に取ってみると、その重さなどから貴金属か、時計か、マリファナだろうと思った」旨、勾留裁判官に対する六月七日付け陳述調書(〈書証番号略〉)においては、「検察庁でマリファナじゃないかと思ったと言ったのは包みの感じからそう思ったからで、手にして重かったので違うと思った。最初は、肉かけん銃だと思った」旨、検察官に対する六月一四日付け供述調書(〈書証番号略〉)においては、「新聞紙に包まれたのを見たときは、二、三日前に送られて来たステーキの冷凍肉だと思ったが、その後若い者から電話があり、肉ではないと言って言葉を濁すので、密輸入した貴金属かけん銃と思った」旨、検察官に対する六月一九日付け供述調書(〈書証番号略〉)においては、「検察官から職務質問を受けた時に逃げ出したのは、持っているものが『やばいもの』であったからではない。この時は、新聞紙包みの中身は肉かお茶位にしか考えていなかった」旨、更に原審公判廷(第七回公判九五ないし一四八項等)及び当審公判廷(第六回公判二三三ないし二三六項等)においては、「最初冷蔵庫に入っていた黒色紙袋の中身は肉かなと思ったし、流し台の下においてあった二個の新聞紙包みの中身は台所用品かなと思った。しかし、Tから電話があり、冷蔵庫に入っていた物の中身を聞いたところ、『やばいもんです。人から預かったもんです』と言われ、けん銃だろうと思った」旨述べて、変遷を重ねており、その供述態度は不自然、不合理である。加えて、Tの第一回証言(九一八項等)及び被告人の当審供述(第六回公判二三四項等)等の関係証拠によれば、本件当時、国分総業関係者は各自けん銃を携帯するなどしていたというのであるから、新聞紙包みの中身がけん銃であれば、Tとしては、被告人から電話で新聞紙包みの中身を聞かれた際に、その旨を説明すれば足りると考えられるのであって、ことさら被告人に隠したり、被告人から追及されて狼狽するというのは不自然であること、このことは新聞紙の中身が密輸入した貴金属であっても同様にいえることからすると、被告人は、新聞紙包みの形状やTとの電話でのやりとりから、その中身がけん銃や密輸入した貴金属ではないとの認識を持っていたことが窺われるのであって、被告人の右供述を信用することはできない。

このような事情に加え、関係証拠によれば、本件覚せい剤は、約一キログラムずつに分けられて二重のポリ袋に入れられた上、それぞれ新聞紙に包まれており、その外観は、全て同一であって、丁度ビニール袋に入った一キログラムの砂糖や塩等を新聞紙で包んだ形状をしていたこと、しかも、被告人は、右新聞紙包みのうちの一個を手に取った上、前記ペーパーバッグに入れてK子方から持ち出しており、その形状や重量等は当然分かっていたと考えられるばかりか、Tからの電話を受けた直後に三個の新聞紙包みの中からわざわざ一個を持ち出していること、更に、被告人は、警察官から職務質問を受けて逃走を図った際、携帯電話はその場に投げ捨てたものの、右バッグについては、そのまま抱えて走り出しただけでなく、城崎警部補から進路を塞がれるや、高さ約二メートルの塀越しに三洋電気福岡共同住宅の敷地内を狙って投げ込んでいることを併せ考えると、被告人は、右新聞紙包みの中身が覚せい剤であることは十分認識していたものと推認することができる。

2  次に、被告人が本件覚せい剤を所持していたといえるかについて検討するに、覚せい剤取締法一四条一項にいう「所持」とは、人が物を保管する実力支配関係を内容とする行為をいい、それは物を物理的に把持している場合のほか、物の存在を認識して管理し得る状態にあれば足りるものと解されるところ(最高裁昭和三〇年一二月二一日大法廷判決・刑集九巻一四号二九四六頁、同昭和三一年五月二五日第二小法廷判決・刑集一〇巻五号七五一頁等参照)、被告人がK子方からペーパーバッグに入れて持ち出した新聞紙包みのポリ袋入り覚せい剤については、被告人は、それが覚せい剤であることを認識しながら実際に把持していたのであるから、被告人の所持にかかるものと優に認めることができる。また、関係証拠によれば、被告人は、K子を知った後、同女の身の上に同情し、父親代わりとして被告人方で同女の面倒を見てきていたもので、いずれ同女との間で養子縁組をした上、今後も引き続いて同女の面倒をみることにしていたこと、○○鳥飼一〇四号室は、K子が施設に預けている子供を引き取り一緒に生活するために借り受けた部屋ではあるが、その敷金等は被告人が出していたこと、六月四日当時、K子は、タンスや冷蔵庫等の家財道具を同室に運び込んで、一応引越しを終えていたとはいえ、いまだ同室での生活を始めるには至っていなかったこと、しかも、同室の鍵のうち一本は、国分総業の者に預けられており、被告人も自由に出入りできる状況にあったこと、更に、本件覚せい剤は被告人が総長をしている国分総業の関係者が持ち込んだものである上、被告人は本件覚せい剤が入れられている三個の新聞紙包みの中からわざわざ一個を持ち出していることを併せ考えると、被告人は、K子方台所の流し台の下に置かれていた二個の新聞紙包みに入れられていた覚せい剤二袋に対しても、それらを管理し得る状態にあって実力支配関係を有していたものと評価することができるから、右覚せい剤も被告人の所持にかかるものと認めることができる。

3  最後に、営利の目的について検討するに、関係証拠によれば、本件覚せい剤は約三キログラムにも及ぶものであり、このような大量の覚せい剤の所持は一般に販売目的によるものと推認できること、しかも、右覚せい剤をK子方に持ち込んだのは、Tないし国分総業の関係者であって、被告人はその総長をしていること、更に、被告人は、Tからの電話を受けた後、三個の新聞紙包みの中から一個を取り出してペーパーバッグに入れ、K子方から持ち出していることからすれば、被告人が営利の目的を有していたのではないかとの疑いは相当に強い。しかしながら、平成二年法律第三三号及び同三年法律第九三号による各改正前の覚せい剤取締法四一条の二第二項にいう「営利の目的」とは、犯人自ら財産上の利益を得又は第三者に得させることを動機・目的とする場合をいうと解される(最高裁昭和五七年六月二八日第一小法廷決定・刑集三六巻五号六八一頁参照)ところ、本件においては、前述したように、被告人自ら本件覚せい剤をK子方に持ち込んだとまでは認定できない上、Tないし国分総業の関係者が被告人の指示に基づいてK子方に本件覚せい剤を持ち込んだと認めるべき的確な証拠も存在しないから、結局、被告人は、六月四日K子方において初めて、三個の新聞紙包みに入れられていた本件覚せい剤の存在を知ったものと認めざるを得ない。そして、被告人が、K子方に本件覚せい剤が置かれているのを知った後、それによって自ら財産上の利益を得又はK子方に本件覚せい剤を持ち込んだ者らに財産上の利益を得させる動機、目的から、その所持を継続していたことを窺わせる的確な証拠も存在しないから、結局、被告人に営利の目的があったとまでは認めることができない。

四  以上のとおり、本件覚せい剤をキャスター付きバッグに入れてK子方に持ち込んだのが被告人であるとまでは断言できないとはいえ、前述した本件犯行前後の状況等によれば、被告人は、遅くとも新聞紙包み一個をK子方から持ち出す時点においては、同女方に置かれていた三個の新聞紙包みの中身が覚せい剤であるとの認識を有していた上、被告人が持ち出した覚せい剤ばかりか、同女方台所の流し台の下に置かれていた覚せい剤に対しても、これを所持していたものと認めることができる。しかしながら、原審において取り調べた証拠及び当審における事実取調べの結果を併せ考慮しても、被告人が営利の目的で右行為に及んだとまでは認定することができず、被告人に対しては、本件覚せい剤の所持罪を認めることができるだけであるから、被告人に対し本件覚せい剤の営利目的による所持罪の成立を認めた原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の限度において理由がある。

第二  控訴趣意書第二点(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、警察官らが被告人に対する職務質問を行うに当たって行使した有形力は、被告人の意思を制圧する違法なものであり、また、K子方の捜索も違法であるから、このような違法な捜査によって得られた本件覚せい剤等は違法収集証拠として証拠能力がないのに、原判決が右各証拠の証拠能力を認めたのは、訴訟手続に法令の違反がある、というのである。

しかしながら、原審において取り調べた証拠及び当審での事実取調べの結果によれば、本件覚せい剤等の証拠能力を肯認することができるから、原判決に所論主張のような訴訟手続の法令違反があるとは認められない。

以下、所論に鑑み、敷衍する。

一  所論は、まず、被告人は、警察官から声をかけられて逃走しようとした際、警察官から衝突、転倒させられた上、四、五名の警察官から上に乗られて反抗を抑圧された上、両脇を抱えられ、六名位の警察官に○○鳥飼一〇四号室まで連行されたものであって、このような警察官らの行為は、被告人の意思を完全に制圧するもので、職務質問に付随する有形力の行使として許容される範囲を越えた違法なものである旨主張する。

1  しかしながら、関係証拠によれば、日高巡査部長らが被告人に対する職務質問を開始してから被告人を逮捕するまでの経過については、前記のとおりの事実が認められるのであって、所論に沿う被告人の原審及び当審公判廷での供述は他の関係証拠に照らして信用できない。すなわち、被告人は、原審公判廷(第七回公判二六六、二六七項)においては、立ち塞がっていた警察官にそのまま衝突して転倒した旨述べているものの、司法警察員に対する六月一六日付け供述調書(〈書証番号略〉)では、警察官から右脇腹にタックルをかけられるとともに後ろから足蹴りにされ、別の警察官から後ろ襟首を掴まれて引き倒された旨、検察官に対する六月一九日付け供述調書(〈書証番号略〉)では、警察官から足払いをかけられて仰向けに転倒した旨供述するなど、その供述内容は総じて大げさである上変転していること、また、被告人は、当審公判廷(第六回公判五五ないし七七項等)において、城崎警部補から左腕を後ろに捻じ上げられるなどして○○鳥飼一〇四号室に連行された旨供述するが、日高巡査部長(第二回公判一七七ないし一九六項等)らは、原審公判廷において、被告人は城崎警部補と衝突して転倒した後はもはや抵抗することもなく、素直に踊り場まで同行した旨証言しているのに加え、その状況を目撃したK子も、司法警察員に対する六月一四日付け供述調書(〈書証番号略〉)において、被告人は警察官から手錠をかけられたり、腕を捻じ上げられたということはなく、警察官らに囲まれて観念したような様子で踊り場に来た旨述べて、被告人の右供述を否定する供述をしていることなどに照らすと、職務質問を受けた以降の経過に関する被告人の供述を容易に信用することはできないといわざるを得ない。

2  そこで、警察官らが被告人に対する職務質問を実施するに当たって用いた有形力の行使の適否について順次検討する。まず、城崎警部補が被告人の前方に両手を広げて立ち塞がり、逃走して来た被告人と衝突して転倒したことについてみると、関係証拠によれば、日高巡査部長は、具体的で確度の高い情報に基づき被告人らの動向を監視し、ベンツの運転席に乗り込もうとしていた被告人に対し適法に職務質問を開始したこと、その際、被告人にかけられていた容疑は、被告人がベンツの後部トランク等に五キログラムもの大量の覚せい剤を所持しているとの重大な犯罪に関するものであったこと、被告人は、同巡査部長から警察手帳を示されて職務質問を開始されるや、携帯電話機をその場に投げ捨てて逃げ出したため、同巡査部長らとしては、被告人に停止を求め更に職務質問を継続する緊急の必要があり、同巡査部長らが被告人の後を追いかけた行為に格別問題はなかったこと、他方、城崎警部補の行為は、逃走するため走って来た被告人の前に立ちはだかり、その停止を求めたにすぎないものであって、同警部補が被告人に対し積極的に有形力を行使したものではなかったことが認められ、これらの事情によれば、同警部補の右行為が職務質問を行うため被告人に停止を求める有形力の行使として許容される範囲を超えた不相当な行為であったとは考えられない。また、被告人が城崎警部補に衝突して転倒した後、日高巡査部長が被告人の右腕を抱えるようにして立たせた行為は、職務質問を再び始めるに当たって必要かつ相当な行為であると考えられる。

その後、被告人と共に転倒した城崎警部補が被告人の右側に立ち、また、同警部補と一緒に右通路西側出入口で張込みをしていた高山彰巡査部長及び谷口公明巡査が被告人の側に来て被告人を監視するとともに、被告人が三洋電気福岡共同住宅の敷地内に投げ捨てたペーパーバッグを拾って来た清水巡査も被告人の側に来て右バッグの中身について被告人に質問し、その後、城崎警部補が被告人を促し、連れだって○○鳥飼一〇四号室前の踊り場に至っているところ、前記尾行、張込、逮捕状況報告書謄本(〈書証番号略〉)、城崎(第二回公判一四七ないし一五三項等)及び清水(第三回公判六八ないし八五項等)の各原審証言等の関係証拠によれば、被告人らが移動した距離は約37.9メートルで、同行した場所も被告人がその直前に出てきたK子方の前の踊り場であったこと、しかも、被告人は城崎警部補に衝突して転倒した後は、格別反抗的な態度に出ることもなく、観念した様子であったこと、また、城崎警部補らが被告人を右踊り場に連れて行ったのは、当時雨が降っていたため、被告人らが立っていた○○鳥飼の北側通路西側出入口付近で職務質問を継続すれば、被告人が雨に濡れるだけでなく、清水巡査が拾って来たペーパーバッグ等の証拠品も雨によって汚損される恐れがあり、右証拠品を被告人に示すなどして職務質問を行うことは適当でないと考えられたこと、更に、被告人が城崎警部補に衝突するまでの前記事情に加え、この段階においては、清水巡査が、既に被告人の投げ捨てたペーパーバッグを拾って来ており、その手触り等からして右バッグの中には覚せい剤が入っている疑いが相当強くなっていたことが認められ、右事情をも併せ考えると、城崎警部補らが被告人に対する職務質問を継続するために被告人を右踊り場まで同行したことが不相当な行為であったとはいえない。

更に、寺崎警部らは、被告人を連れて右踊り場からK子方に入り、台所入口付近において、被告人にペーパーバッグの中身について質問したが、被告人が知らないというので、右バッグの中身を確認してもいいかと尋ね、清水巡査が右バッグの中から新聞紙包みを取り出した上、更にそれを開披してポリ袋入り覚せい剤一袋を取り出しているところ、寺崎(第四回公判二三ないし四〇項等)及びK子(第四回公判二三一ないし二三四項等)の各原審証言等の関係証拠によれば、同警部らがK子方に入るに当たっては、K子に対し、中に入ってもいいかどうかの承諾を求めていること、他方、同女としても、引っ越して来たばかりで、多数の警察官が同女方前の踊り場に集まって被告人に対する職務質問を続けることは、近隣の人達への気兼ね等もあって、好ましくないと思い、寺崎警部の申し出を承諾していること、また、K子方のドアの鍵も同女自身が開けていること、右踊り場は○○鳥飼東側階段の出入口であって、そのような場所で多数の警察官らが被告人に職務質問をすること自体必ずしも適当であるとはいえないことが認められ、右各事実に照らすと、寺崎警部らが被告人に対する職務質問を続けるために、K子の承諾を得た上、被告人がその直前までいたK子方に入ったことが不相当な行為であったともいえない。また、清水巡査が、ペーパーバッグの中から新聞紙包みを取り出した上、更にそれを開披してポリ袋入り覚せい剤を取り出した行為は、被告人の「勝手にしない。しょんなかたい。もう往生した」との発言を受けてしたものであって、一応被告人の承諾を得ていると評価できること、しかも、この段階においては、被告人に対する職務質問を開始した以後の経過からみて、被告人に対する覚せい剤所持の嫌疑はますます強くなっていたばかりか、右バッグの中に覚せい剤が隠匿されている蓋然性も高く、清水巡査らにおいて、右バッグ等を開披して被告人に質問する必要性も強かったこと、他方、同巡査が右バッグ等を開披した行為自体は、被告人のプライバシーをさほど侵害するような性質のものではなかったことを併せ考えると、同巡査が行った右所持品検査が不相当なものであったともいえない。

3  以上のとおり、日高巡査部長が被告人に対する職務質問を開始してから、清水巡査が右ペーパーバッグの中からポリ袋入り覚せい剤一袋を取り出すまでの警察官らによる一連の行為は、いずれも職務質問に付随する行為として相当なものであったと認められるのであって、所論は採用できない。

二  次に、所論は、警察官らによって行われたK子方の捜索は、同女の承諾に基づくものではなく、また、警察官らは、転倒した被告人を押え込んだ時に、実質的に被告人を逮捕したというべきであって、その後被告人をK子方に連行したとしても、同女方は刑訴法二二〇条一項二号にいう「逮捕の現場」に当たらず、同女方の捜索を目して、原判決が判示するように現行犯逮捕に伴う捜索であると解することはできないから、結局、警察官らによる同女方の捜索は違法である旨主張する。

1  そこで、まず、寺崎警部らによるK子方の捜索が、同女の承諾に基づく捜索として適法なものといえるかどうかについて検討するに、関係証拠によれば、寺崎警部らは、被告人が所持していたペーパーバッグの中から約一キログラムの覚せい剤を発見したものの、事前の情報においては、被告人の所持する覚せい剤の量は五キログラムということであったことから、被告人が更にK子方に残りの覚せい剤を隠匿しているのではないかとの疑いを持ち、K子に対し「他に覚せい剤を隠していないか。あったら出しなさい」と告げたところ、同女から「いいですよ。室内を捜して下さい」との返事を得たので、同女の承諾があったものとして同女方を捜索したことが認められる。ところで、承諾に基づく住居等に対する捜索については、犯罪捜査規範一〇八条が、人の住居等を捜索する必要があるときは、住居主等の任意の承諾が得られると認められる場合においても、捜索許可状の発付を受けて捜索をしなければならない旨規定しているが、住居等の捜索が生活の平穏やプライバシー等を侵害する性質のものであることからすれば、捜索によって法益を侵害される者が完全な自由意思に基づき住居等に対する捜索を承諾したと認められる場合には、これを違法視する必要はないと考えられる。しかし、住居等に対する捜索は法益侵害の程度が高いことからすれば、完全な自由意思による承諾があったかどうかを判断するに当たっては、より慎重な態度が必要であると考えられる。そこで、この点を本件についてみると、確かにK子方に対する捜索は、寺崎警部からの申し出に対し、同女が「いいですよ。室内を捜して下さい」と返事したことを受けて行われたものではあるが、同女は当時二十歳前の女性であったこと、また、同女が寺崎警部から捜索への承諾を求められる直前には、それまで父親代わりとしてK子の面倒を見てくれていた被告人が、数名の警察官らに連れられてK子方に来ていた上、被告人が持っていたペーパーバッグの中から覚せい剤も発見されていたこと、しかも、当時被告人と一緒に同女方に入って来た警察官の人数は決して少ない数ではなかった上、その最高責任者である寺崎警部から、「他に覚せい剤を隠していないか。あったら出しなさい」と告げられた上で、K子方に対する捜索についての承諾を求められていたことを併せ考えると、K子が同警部の申し出を拒むことは事実上困難な状況にあったと考えざるを得ない。そうすると、K子としては、同女方にまだ覚せい剤が隠されているのではないかとの警察官らの疑いを晴らす必要があったことや、被告人が「K子見せんでいいぞ」と怒鳴ってK子が捜索を承諾するのを制止したにもかかわらず、同女が「いいですよ」等と返事していることを考慮に入れても、同女の承諾が完全な自由意思による承諾であったと認めるのは困難であって、寺崎警部らによるK子方の捜索が同女の承諾に基づく適法な捜索であったということはできない。

2  次に、原判決は、警察官らが、被告人の投げ捨てたペーパーバッグの中から一キログラムの覚せい剤が出てきた時点においては、被告人を右覚せい剤所持の現行犯人として逮捕する要件を具備していたことを理由に、その後のK子方に対する捜索は、刑訴法二二〇条一項に基づく捜索として許される旨判示しているのに対し、所論がその適否を争っているので、この点について検討する。

所論は、まず、被告人は、○○鳥飼の北側通路西側出入口付近で警察官らに取り押えられた際に実質的に逮捕されたものと考えるべきである旨主張するが、被告人が、同所において数名の警察官から監視された状態に置かれたことは間違いないものの、それは被告人に対する職務質問を続けるために必要なものであり、その直前の被告人の行動からしてやむを得ないものと考えられる上、被告人の身体が既に拘束されたとまでは認められないから、右時点において被告人が逮捕されたとはいえず、所論は採用できない。

ところで、刑訴法二二〇条一項二号は、司法警察職員らは、被疑者を「現行犯人として逮捕する場合において必要があるときは」「逮捕の現場」で捜索等をすることができる旨規定しているところ、右にいう「逮捕する場合」とは、逮捕との時間的な接着性を要するとはいえ「逮捕する時」という概念よりも広く、被疑者を逮捕する直前及び直後を意味するものと解される。なぜなら、被疑者を逮捕する際には、逮捕の場所に被疑事実に関連する証拠物が存在する蓋然性が強いこと、捜索等が適法な逮捕に伴って行われる限り、捜索差押状が発付される要件をも充足しているのが通例であること、更に、証拠の散逸や破壊を防止する緊急の必要もあることから、同条項は令状主義の例外としての捜索等を認めたものと解されるところ、このような状況は、必ずしも被疑者の逮捕に着手した後だけでなく、逮捕に着手する直前においても十分存在し得ると考えられるからである。そうすると、本件においては、清水巡査が、被告人の目前においてペーパーバッグを開披し、ポリ袋入り覚せい剤一袋を確認した時点では、被告人を右覚せい剤所持の現行犯人として逮捕する要件が充足されており、実際にも、警察官らは、K子方の捜索をした後とはいえ、被告人を右覚せい剤所持の現行犯人として逮捕しているのであるから、原判決が、警察官らのK子方に対する捜索を同条項の捜索に当たるかどうかの観点から検討したことは正当であると考えられる。しかしながら、同条項にいう「逮捕の現場」は、逮捕した場所との同一性を意味する概念ではあるが、被疑者を逮捕した場所でありさえすれば、常に逮捕に伴う捜索等が許されると解することはできない。すなわち、住居に対する捜索等が生活の平穏やプライバシー等の侵害を伴うものである以上、逮捕に伴う捜索等においても、当然この点に関する配慮が必要であると考えられ、本件のように、職務質問を継続する必要から、被疑者以外の者の住居内に、その居住者の承諾を得た上で場所を移動し、同所で職務質問を実施した後被疑者を逮捕したような場合には、逮捕に基づき捜索できる場所も自ずと限定されると解さざるを得ないのであって、K子方に対する捜索を逮捕に基づく捜索として正当化することはできないというべきである。更に、K子方に対して捜索がなされるに至った経過からすれば、同女方の捜索は、被告人が投げ捨てたペーパーバッグの中から発見された覚せい剤所持の被疑事実に関連する証拠の収集という観点から行われたものではなく、被告人が既に発見された覚せい剤以外にもK子方に覚せい剤を隠匿しているのではないかとの疑いから、専らその発見を目的として実施されていることが明らかである。そして、右二つの覚せい剤の所持が刑法的には一罪を構成するとしても、訴訟法的には別個の事実として考えるべきであって、一方の覚せい剤所持の被疑事実に基づく捜索を利用して、専ら他方の被疑事実の証拠の発見を目的とすることは、令状主義に反し許されないと解すべきである。そうすると、原判決のようにK子方に対する捜索を現行犯逮捕に伴う捜索として正当化することもできないといわざるを得ない。

3  そうすると、寺崎警部らがK子方に対して行った捜索は、同女の承諾による捜索として適法なものとはいえない上、原判決のように現行犯逮捕に伴う捜索としてその適法性を肯定することができないから、違法であるといわざるを得ない。

三 以上、検討した結果によれば、K子方の台所流し台の下から発見された覚せい剤二袋及び右覚せい剤を鑑定した鑑定書については、違法な捜索によって得られた違法収集証拠ないしそれから得られた証拠であるから、更にその証拠能力について検討するに、違法に収集された証拠であっても、当然にその証拠能力が否定されるわけではなく、証拠物の押収等の手続に、憲法三五条及びこれを受けた刑訴法二一八条一項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合に、初めてその証拠能力が否定されるものと解される(最高裁昭和五三年九月七日第一小法廷判決・刑集三二巻六号一六七二頁参照)。

これを本件についてみると、寺崎警部らによるK子方の捜索については、それがK子の完全な自由意思に基づく承諾によるとはいえないとしても、外形的には一応同女の承諾を得た上で実施されたものであること、同警部らは、K子から承諾を得るに当たって有形力を行使したり、脅迫的な言動に及んでいるわけではないこと、しかも、同警部らが事前に得ていた情報は、被告人による大量の覚せい剤所持という重大な犯罪に関するものである上、K子方の捜索が実施される直前には、既に被告人が持ち出したペーパーバッグの中から約一キログラムの覚せい剤が発見されており、更にK子方に覚せい剤が隠匿されている可能性が相当高かったこと、また、本件の経過からすれば、同警部らに令状主義に関する諸規定を潜脱する意図はなかったことが認められ、これら諸般の状況からすれば、K子方の捜索の違法はいまだ重大なものとはいえず、右手続により得られた証拠を被告人の罪証に供することが違法捜査抑制の見地から相当でないとも認められないから、K子方の捜索によって発見された覚せい剤等について、その証拠能力を肯認することができると考えられる。

そうすると、本件覚せい剤等の証拠能力を争う所論には賛同できず、論旨は理由がない。

第三  よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成二年六月四日、福岡市城南区〈番地略〉所在の○○鳥飼一〇四号室のK子方において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩酸塩結晶約二九九八グラム(〈押収番号略〉)を所持したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯前科)

被告人は、昭和六二年一二月一四日、福岡地方裁判所において、強要未遂、恐喝未遂の罪により懲役二年八月に処せられ、平成元年八月二〇日右刑の執行を受け終わったものであって、右事実は、検察事務官作成の前科調書(〈書証番号略〉)によって、これを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、平成三年法律第九三号(以下「改正法」という)附則三項により、同法による改正前の覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項に該当するところ、右は前記前科との関係で再犯であるから刑法五六条一項、五七条により累犯の加重をし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入し、押収してある二重ポリ袋入り覚せい剤三袋(〈押収番号略〉)は、判示罪にかかり、被告人の所持するものであるから、改正法附則三項により、前同覚せい剤取締法四一条の六本文に従い、いずれもこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雑賀飛龍 裁判官濱崎裕 裁判官川口宰護)

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